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マイクロニードル
医療のあり方を大きく変える
マイクロニードルパッチ型センサー

人生100年時代と言われるようになった昨今。健康寿命を延ばすため、医療は治療から予防に力点を移しつつある。例えば、中高年の三人に一人が糖尿病患者予備軍だと言われるが、彼らがこまめに検査をして発病を未然に防げば、健康寿命の平均値が伸び、医療費の削減にもつながるはずだ。
「血液検査をすれば大体の健康状態はわかりますが、実際のところ発病していない人が定期的に通院して、痛みを伴う採血をするのはハードルが高い。しかし、私が開発した『マイクロニードルパッチ型センサー』を使えば、そのハードルを大きく下げることが可能です」
そう語るのは、ナノ・バイオ計測研究室の金範埈教授だ。金教授が研究するマイクロニードルは、その名の通りマイクロスケールの目に見えないほど小さな針のこと。非常に微細なので痛みを感じさせにくいため、これまで美容成分やワクチンを体内に“注入”する手法として注目されてきた。しかし、金教授はマイクロニードルを使えば、逆に体内から“抽出”することもできるのではないかと考えたのだ。
「人体の細胞同士の隙間は間質液という液体で満たされています。血液検査では、血液の中の血漿(けっしょう)という成分のみが検査に用いられますが、間質液と血漿はほぼ同じものです。そのため、皮膚の直下の細胞間の間質液をマイクロニードルで抽出すれば、簡便でしかも痛みを伴わずに血液検査と同等の検査ができるのです」
多孔質の針という画期的なアイデア


金教授は早速、間質液を抽出できるマイクロニードルパッチ型センサーの開発に取りかかった。最初に検討すべきことは、肝心の抽出方法だった。注射のように筒状の穴から吸い上げる空洞型は加工プロセスが複雑でコストがかかる。ゲルに体液を含ませる膨潤型は吸い取った後に絞り出すという手間がかかる。そこで、金教授が思いついたのが、多孔質の針を使うというまったく新しいアイデアだった。
「スポンジのように多数の孔が開いた多孔質ポリマーの針を使えば、皮下に刺すだけでスピーディに間質液を吸収できます。しかし、開発は一筋縄ではいきませんでした。吸収力を高めるには孔を増やさなければなりませんが、そうすると強度が低くなる。最適なバランスを検討するのに苦労しました。また、孔がすべて内部でつながっていなければ液体が吸収されないため、形状を工夫する必要もありました。ポリマーの原料に塩を混ぜて金型で針を成形し、塩だけを溶かして孔を開けるという方法を用いましたが、理想的な形状を実現するために数多くの条件を検討しました」
誰でも血液検査ができる世の中に
試行錯誤を重ねた結果、世界初のマイクロニードルパッチ型センサーは完成した。パッチ上に並べられた多孔質マイクロニードルは、ほぼ痛みなく皮下に刺さり、瞬時に間質液を吸い上げる。パッチの上部には試験紙がセットされており、検査対象とする成分の量に応じて色が変化する。
「スマートフォンで撮影するだけで色を補正して正確な数値を測れますし、採取した間質液のサンプルを病院に送ればより精密な検査もできます。このセンサーが普及すれば、誰でも自分で血液検査ができるため、検査の頻度を高められますし、医療関係者の労力を大きく減らせる可能性があります」
2024年6月に東大病院で臨床試験の承認を受けるなど、マイクロニードルパッチ型センサーはすでに実用化に向けて動き始めている。金教授は将来を見据えて、さらなる応用分野の検討やデバイスの改善に取り組んでいる。
「試験紙を替えるだけでさまざまな物質を測定できるため、広い範囲に応用できます。現在は入院患者の薬物血中濃度や、がんの早期発見につながるバイオマーカー、ストレスの指標となるホルモンであるコルチゾールなどを測定できるセンサーの開発に取り組んでいます。ほかにも、効率的な製造方法の開発を検討したり、誰でも同じ条件で採取できるように一定の力で刺すことができるアプリケーターの開発に着手するなど、普及を後押しする研究を行なっています」
目に見えないほどの小さな針だが、実用化された時に世の中に与えるインパクトの大きさは計り知れない。
関連リンク:ナノ・バイオ計測研究室/金範埈研究室