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超適応の科学

脳に秘められた潜在能力を引き出し
フレイルの問題を解決する

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太田 順 教授

高齢化にともない身体機能や脳機能が低下する、フレイルという問題が注目されている。現在、日本の65歳以上の人口は3000万人にのぼるが、そのうち11.5%がフレイルだと言われている。高齢者のQOLを向上させるためにも、超高齢社会を改善するためにも、フレイル対策は喫緊の課題となっているのだ。

「脳には本来、身体的な損傷や機能低下を補う機能が備わっています。例えば、若くして失明したブラインドサッカーの選手は、研ぎ澄まされた聴覚を頼りに、まるでボールが見えているかのような機敏なプレーを見せます。そうした視覚障害者の脳では、通常使われていない領域が活性化され、新たな神経回路が再構成されていることがわかっています。脳は自らの機能をアップデートして、新しい行動原則を創り出し、環境に適応しているのです」

太田教授らの研究グループはこれを「超適応」と名付け、新たな学問領域を創成。現在、科研費プロジェクトを立ち上げ、システム工学と脳神経科学を融合した学際的アプローチにより研究を進めている。太田教授は、このビッグプロジェクトの領域代表者として、全国の数十の研究グループを束ねながら、自身がロボット工学者として追い続けるテーマの1つである「身体と環境の相互作用」について探究している。

身体–脳の働きを数理モデル化することで超適応の理解を深める

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「超適応」はフレイルとも密接に関連している。加齢とともに身体や脳の状態は変化していくが、それに身体や脳自体が適応できていないことが、フレイルの原因と考えられるからだ。

「超適応」において重要なのが、「脱抑制」というメカニズムだ。例えば、健常時に右手を動かす際には、左脳の運動野が機能している。一方、右脳の運動野は抑制され機能していない。しかし、右側の脊髄が損傷するなど、右手を動かすことが困難になった場合、右脳の運動野が活性化して機能を補填しようとする。このように、普段は抑制されている脳の運動野の抑制が解除され、損傷した運動機能を回復させようとする脳の潜在能力のことを「脱抑制」という。抑制の度合いは、年少時には緩やかであるが、青年期・壮年期になるに従って高まっていく。これは、いざという時に備えて脳の補填力を確保するための作用と思われる。しかし、高齢になるに従って、抑制の度合いが減少していくことがわかっている。そうして「脱抑制」が働かなくなると、身体機能や脳機能が衰えた際の潜在的な適応力が低下する。

「その複雑な機構を解明するために、我々は脳神経科学の知見を生かして工学的手法により身体–脳の働きを数理モデル化し、『超適応』の仕組みをシミュレーションすることを目指しています。『超適応』を引き起こす神経メカニズムが明らかになれば、ロボティクス的な手法を用いて安全かつ正確に脳神経系に直接介入したり、身体感覚に刺激を与える新たな手法を開発することで、効果的に『超適応』を促し、フレイルや脳・運動機能障害の患者のリハビリテーションをスムーズに行なうことが可能になると期待されます。逆に、数理モデルをもとに、患者の身体的症状から、脳で起きている障害を推測することも可能になるかもしれません。」

図版
図1)筋骨格モデルによる機能推定:多種類の感覚系から得られた情報を脳内で処理し運動を生成する過程をモデル化することで、適応機能メカニズムの解明を目指す。
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図2)身体-脳活動統合グレイボックスモデル:脳神経科学における知見を用いたホワイトボックスモデルと、データドリブンのブラックボックスモデルを組み合わせたグレイボックスモデルにより、身体・脳活動の相互作用の包括的理解を目指す。

健康寿命の延伸を目指して

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リハビリテーションを行なうには、身体的なトレーニングだけでなく、情動=意欲と、それを駆動する神経伝達物質の役割も重要なファクターとなる。そのため、太田教授は、ドーパミンなど神経伝達物質と身体運動を統合させた数理モデルの解析も進めている。それにより、パーキンソン病のような神経変性疾患を正確に診断できるようになる可能性もあるという。

「『超適応』は、マクロとミクロの中間に位置するメゾスコピックな学問領域であり、生体を扱うため、“ゆらぎ”が大きくなります。また、複合領域であるため、研究者同士の共通言語も異なる等、研究を進めるうえで様々な難しさがありますが、その分やりがいがあります。今後は、システム工学と脳神経科学の両方を深く理解した研究者を育成して『超適応の科学』という学問分野を確固たるものにし、さらなる発展的な研究にも取り組んでいきたいと思っています。将来的には『超適応』の研究結果を応用してフレイルの改善、人々の健康寿命の延伸に貢献することが大きな目標となっています」

(初出:2021年度精密工学専攻パンフレット)

※関連ウェブサイト:
文科省新学術領域[超適応]
移動ロボティクス研究室

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